創建が欽明天皇の時代で541年という大変古い神社でございます。川越では一番古い神社で、多くの歴史的人物から愛されてきました。特にこの神社をこよなく愛したのが、河越城を造った太田道灌で、戦勝祈願によく訪れていたそうです。江戸時代に入ってからも川越藩主たちが多く参拝しており、川越の総鎮守として多くの方から愛され続けてきました。今では結婚式場も併設されていることから埼玉屈指の恋愛パワースポットとして有名で、土日になると多くのカップルや結婚を夢見る女性が恋愛成就の祈願に訪れます。川越祭りはここの例大祭です。
830年に最澄の一番弟子であった慈覚大師円仁が喜多院の境内に建てた神社がこの日枝神社です。今は喜多院の山門の外に移されております。一見すると何気ない小さな社と思われがちですが、社格は県社で、全国の日枝神社の親玉であります。つまり有名な東京赤坂の日枝神社はここの分祀で、簡単に言えば川越日枝神社の子分的存在です。河越城と築城した後、江戸城築城に着手した太田道灌が安全祈願と称して川越から持ってきたのが、赤坂の日枝神社の由来であります。こじんまりとした境内ですが国の重要文化財の宝庫であります。
1030年に甲斐源氏の棟梁であった源頼信が平忠常の乱を平定するために戦勝祈願として創祀いたしました。その後も源氏や平氏関係なく地元の武将たちに愛され、戦勝祈願の縁起の良い神社として武将たちから厚い信仰を受けました。この神社も日枝神社と同様大層な建物もなく、住宅街にひっそりとたたずんでいる程度で、通り過ぎてしまうほどの小さな社ですが、すごい歴史が刻まれている神社というのは大変驚きです。
サッカー協会のエンブレムはご存知八咫烏ですよね。和歌山にある熊野総本宮の分祀である川越の熊野神社も八咫烏を神の使いとして祀っております。ですので、プロのサッカーチームや地元のサッカーチームが戦勝祈願に結構訪れます。また、ここは酉の市でも有名で、川越の商売人が年末近くになると熊手を買いにこぞって参拝に来ます。境内には川越祭りの連雀町の山車蔵だけではなく、足裏のツボに聞くという短い参道がございます。参詣客は裸足になって短い参道をよく歩いております。